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「福祉の仕事」を選び、そして「介護の仕事」へ ~その③~

 みなさん、こんにちは。
 今日もこのブログを見に来て下さり、ありがとうございます。

 前回の続きになります。

 1999年4月より、私は身体障がい者施設で非常勤職員として勤務することになりました。生まれながらにして障がいをお持ちの方もいらっしゃれば、交通事故が原因で障がいを抱えてしまった方もいらっしゃったりと、その事情は利用者様によって様々でした。ここで働かせていただいたのは実質1年程でしたが、本当に多くの出会い、御縁をいただきました。若気の至りで、時には利用者様に対して自己満足的な関わり方になってしまっていたり、羽目を外しすぎて先輩職員に叱責されたりしたこともありますが、本当に多くの経験をさせていただきました。「障がいは『不便』だけど『不幸』ではない」というフレーズを具現化できるような関わりができたのか…と思うと、これについては正直胸を張って「できた」とは言えませんが、自分が関わることで利用者様が笑顔を見せて下さることがそれなりにあったので、そういった点では微力ながら何らかのお力になれたのかなと思っています。そして、「利用者様の笑顔」と「利用者様からの『ありがとう』の言葉」が自分にとっての活力になると共に、福祉の仕事を志した自分の選択が決して間違っていなかったという確信になりました。

 さて、3つの仕事を掛け持ちして充実した日々を過ごしていた1999年度でしたが、気が付けば2000年を迎え、再び「さぁ、就職どうする?」という時期になりました。できればその施設で正職員として働きたかったですが、残念ながらこの年はその枠が発生しないとのことでした。非常勤職員でよければ是非来年度も、というお誘いをいただきましたが、さすがにもう1年フリーターというのも…と思い、別の身体障がい者施設に就職口を求めて活動することとしました。

 そして2000年の1月下旬、名古屋市内で開催された「福祉の仕事の説明会」に足を運びました。「障がい者福祉」「児童福祉」「高齢者福祉」の様々な施設のブースが出展されていましたが、私はその中で2つの身体障がい者施設の説明を聞き、その2つの施設の採用試験を受けようと思いました。「これでひとまず今日の目的は果たした。よし帰ろう」と思い顔を上げた時に、私の目に飛び込んできたのが、今私が働かせていただいている社会福祉法人サン・ビジョンのブースだったのです。今でも何故だかよくわからないのですが、気が付くと私はそのブースの中に入り、説明を受けていたのです。その当時は「希望は身体障がい者施設1本」だったはずの私が、何故…。ただ鮮明に覚えているのは、今も当法人で活躍されている○○部長の生き生きとした姿でした。

                                             ~つづく~

 余談です。
 私の人生史において特筆すべき年であった1999年ですが、1999年といえばノストラダムスの大予言で「人類が滅亡する」といわれていた年だったんですよね。小学校高学年くらいの頃にその話を聞かされて、「僕は23歳までしか生きられないのか…?!」と愕然とした記憶がありますが、気付けばいつの間にかその時は過ぎ去っていました。その時は「人類滅亡」よりも「2000年問題」の方が世間を賑わせていたような気が…。本当に、ノストラダムスの大予言ってなんだったんでしょうか(苦笑)。なんにせよ、何事もなく2000年を迎え、そして令和という新時代に続いている日常に感謝です。

 この度はお読みいただき誠にありがとうございました。
 また見にいらして下さいね。

                                    介護老人福祉施設ジョイフル名駅
                                           施設長 原 浩輔

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