「福祉の仕事」を選び、そして「介護の仕事」へ ~その④~
みなさん、こんにちは。
今日もこのブログを見に来て下さり、ありがとうございます。
前回の続きになります。
身体障がい者施設を希望して「福祉の仕事の説明会」に参加したはずの私は、社会福祉法人サン・ビジョンのブースに吸い込まれるように足を運び、そして説明を受けることになりました。その当時、当法人は2000年4月に介護老人保健施設グレイスフル春日井の開設を控えていたため、その施設としての職員募集がメインであったように記憶しています。ですが説明を受けている時に「当法人は江南市にも施設があり、江南市の施設としても募集をしています」というお話を聞きました。当時、親しくさせていただいていた方が江南市の近隣に在住していたことと、幼少の頃に自分の母親が江南市で働いていて、夏休みによくその仕事場について行ったという思い出もあって、江南市には愛着のようなものがありました。そのことも追い風になったのか、最終的に私の中で「採用試験を受けてみるか」という結論に辿り着いたのです。
2000年2月、当法人の採用試験を受けました。その時の試験内容は、一般教養的なものと作文と面接の3本柱だったと記憶しています。採用試験には数十名の方々がいらしていました。試験の中に「(当時の)厚生大臣は誰か」という問題があったのですが、まったくわからず無記入で出したり、面接でも特に自身をアピールできたという感触も掴めず、自分自身としては「ダメだこりゃ…」という感覚でした。しかし、私のどういった点を評価していただけたのか、数日後に採用通知が私のもとに届いたのです。
採用通知をいただき、嬉しかったです。光栄に思いました。しかし、そこで私は考えました。本来の希望は身体障がい者施設で働くことではなかったのか。高齢者施設の仕事は自分にはできないと学生の時に思っていたのではないか―――。更には、採用試験を受けようと思っていた身体障がい者施設の試験日は、当法人からいただいた採用通知に応じるか否かの回答期限よりも後。つまり、この度の採用を辞退した場合、身体障がい者施設に採用されなければフリーター2年目への突入が確定する―――。一体どうすればいいものかと、数日間は自身の進む道について迷っていました。そんな状況となる中、決断に向けての追い風となったのは、当時親しくさせていただいていた方からの次の言葉でした。
◆高齢者施設には、高齢者施設ならではの魅力があるはず。その魅力を自分で探し出せばいい。
◆この1年間、障がいを抱えた方々の笑顔を引き出すことにやり甲斐を感じてきたのであれば、今度は高齢者施設
にいらっしゃる方々の笑顔を引き出すことにやり甲斐を見出せばいい。
◆採用通知をいただいたのもひとつの御縁。この御縁ときっかけを前向きに受けとめてみよう。
その言葉を受け、迷いが消えました。そう、これはひとつのきっかけであり御縁なんだ。何か素晴らしい出会いが待っているのかもしれない。自分にとっても大いなる経験に繋がるんだ。もう何も迷うことはないんだ―――。
こうして、私は晴れやかな気持ちと希望を胸に、当法人の職員として働かせていただくことになったのです。
~つづく~
余談です。
本当に採用試験の手ごたえはなかったんです(時の厚生大臣の名前も書けませんでしたし…)。試験を受けに来ていた方も多かったですし、ぶっちゃけ「こりゃ落ちたな」と思っていました。それでも採用通知をいただけることになった勝因は何だったのか…。
唯一心当たりがあるとすれば、作文の内容を評価していただけたのかな…と。その時の作文のお題目は「介護保険制度について述べよ」という旨のものでした。ちょうど2000年4月1日より介護保険制度が施行される時だったので、本当にタイムリーなテーマだったと思います。しかし、その当時、私は介護保険制度の詳細なんて全く知りませんでした。でも、たったひとつ、頭に入っていた情報がありました。それは、どこで聞いたのかは覚えていませんが、「介護保険制度が施行されたら、利用する側が行きたい施設を選べるようになる」ということ。本当にこれだけでした。私はそのたったひとつの情報を基に、「介護保険制度が施行されたら、利用する側が行きたい施設を選べるようになる。故に、これからは『選ばれる施設』となるように、サービスの質の向上に努めていく必要がある」といった内容を書き連ねていきました。この内容が「こいつはこれからの介護業界の動向を理解しているな」と評価していただけた…のでしょうか。
何にしても、この時採用していただいたことに、今改めて感謝です。
この度はお読みいただき誠にありがとうございました。
また見にいらして下さいね。
介護老人福祉施設ジョイフル名駅
施設長 原 浩輔