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祖母の教え

明けましておめでとうございます!グレイスフル日義でデイリーダー兼生活相談員をしております伊藤美咲とお申します。前回は私がこの道を選んだきっかけについて書かせて頂きました。今回は祖母からの教えについて書きたいと思います。

祖母は毎朝仏様にお供え物をし手を合わせ家族の健康をお祈りし、日中は畑・田んぼの仕事、一日の終わりには日記を書くのが祖母の生活スタイルでした。毎日天気予報をみては「今日は畑・田んぼに行ける」と喜んだり雨や雪の日には「雨か。やんだら外に行かなきゃ」「雪かきしなきゃ」と春夏秋冬じっとして入れないタイプで雨が降っていれば窓辺に椅子を置きそこに座って編み物をしながら空とにらめっこ。田んぼの時期になると水がきちんと入っているのかが気になり夜遅くに心配で起きて、私と片道5分もかからない田んぼの水を見に懐中電灯を照らしながら行っていました。その道中で必ず祖母が言うのは「来年は若い衆に畑・田んぼを任せる。わしはいついなくなってもおかしくないで」の言葉。そんなこと言われると胸が苦しくなり下ばかり見て歩いていると「下ばっかり見ていると見えるものもみえなくなるよ」と言われ「おばあちゃんが嫌な話をするからだよ!」といつも言い合い(笑)「上を見てごらん。星がきれいでしょ。下ばかり見ていると見えないでしょ。おばあちゃんはずっと前ばかり見て歩いてきたよ。おばあちゃんみたいな生き方した方がいろんな景色沢山みれるよ。」同じ会話を約20年繰り返し94歳の年に祖母は自宅にて転倒し、かかりつけ医からは「骨折はしていないが関節がもろくなっている。もう歩くことはできない。今後の事は家族間で話し合うように」と言われました。その後特養の申し込みに母は追われました。母ばかりに任せてはいけないと思い私も一緒に申し込みに行った所老健に入所する事が出来ました。
一安心したのもつかのま、あっという間に3ヶ月がたち一度自宅へ帰ってくる日が決まりました。介護を行った事がない両親であった為祖母が帰ってくる2泊3日に合わせ私も実家に帰り祖母の介護を行いました。祖母はトイレへ行きたい!という気持ちが強く施設でトイレに起きて何度もバランスを崩し転倒をしていました。祖母がどのぐらいの頻度でトイレに行くのか、夜も行くのか細かく職員さんにお聞きし自宅でも夜中にアラームをかけトイレに起きてもらい、寝る場所も祖母の隣にし、食事は刻んだりと付きっきりで介護をしました。きっと祖母の思いとしては自宅にいたいのはわかっていましたが家族が四六時中付きっきりの生活は難しい。介護の仕事をしている私にとってお安い御用!私に任せて!と思っていましたが、たった2泊3日自宅での介護の大変さに気づかされました。
そんな中グレイスフル箕輪に入所する事が決まりました。トイレで排泄したいという思いが強い祖母でしたので、迷惑をかけないかとても心配でしたが何時にトイレ誘導をするなど細かく対応をして下さりました。またカンファレンスを開いて下さり会議には全ての役職が集まり各役職から祖母の現在の様子を細かく教えて下さいました。
正面玄関にはユニットごと写真が飾ってあり、カンファレンスや面会に行くたびに祖母の写真を探して母と喜んだり、毎月の請求書と一緒に同封して下さる写真付きのチラシも家族と祖母探しに夢中でした。毎日顔は見れなくなってしまったけれど写真を見ると元気にしている、イベント楽しんでいる等感じ、安心出来ました。
そんな中食べる事が大好きであった祖母が急に残すようになったり元気がない様子が見られたと連絡を受けました。年齢も95歳。食べれなくなってもおかしくない。覚悟を決める時と思いながら家族と話をしカンファレンスに出席した所、栄養士さんに言われたのが「食べなくなった原因の一つは今まで一緒に食べていたテーブルの方が体調不良によりフロアに出て来れずそのことで寂しさもあるかなと思っています。今はテーブルを変えて様子を見ており少しずつですが食べるようになっています」と言われました。その言葉を聞いた時ふと思い出したことがありました。
そういえば祖母は昔から一人でご飯を食べる事が嫌いだった。平日の夕食であってもみんな揃わないと食べなかったし、朝「先に食べてていいからね」と言っておいても「一人で食べるご飯はおいしくない。みんなで食べたい」と言って家族みんなが帰ってくるまで待っていた事を思い出しました。食べれなくなった=年のせいと私は決めつけていましたが施設の職員さんはきちんと原因を突き止め情報共有しながら変化に気づいておりとても感動しました。
大好きな祖母もついに危険な状態になり毎日顔を見に行きました。コロナ過でもあり5分という短い時間ではありましたが、たった5分でも会えるだけで嬉しかったです。帰り際には祖母の手を握り「ありがとう」と伝えて帰るのですが、なんだか名残惜しく感じた日があり、祖母の目は空いていないけれど何度も何度も手を握り返して来てくれて私が帰る支度をし荷物を持つと手を伸ばしてきてくれて又握る。それを何度か繰り返し「また明日ね」と居室を出る際振り返ると私の姿はもうないのにそこに誰かがいるかのように手を伸ばしていました。そして私が帰った4時間後祖母は天国へ旅立ちました。

あれから毎日仏様のお供え物は母が引き継いで行っています。私も実家に帰れば真っ先に仏様の前に行き、「只今」と伝えています。仏様の隣にはグレイスフルに頂いた写真を置いてあり祖母のとびっきりの笑顔を見るたびさいご家にいれなかったけれど幸せだったねと語りかけています。私達家族も祖母をさいごのさいごまでみて下さった事とても感謝しています。祖母がグレイスフルに入所したことにより私は職員目線、家族目線と両目線から今まで感じる事が出来なかった事、家族の思いや願いこれは自分自身がその立場にならないと理解する事はなかったと思います。気づかせてくれたのも全て祖母のおかげだと思っていますし、学んだことを今仕事に活かす事が出来ています。

昔祖母に自信満々に言った「いつか介護が必要になったら私が絶対に面倒みるからね!」は叶わなかったかもしれませんがこうして祖母が安心して生活を送れた事でそれはそれで良かったのかなと思います。
祖母からの教えである前を向いて歩く事の大切さを胸に置き日々生活しています。
また祖母が何十年と書き続けていた日記を私も今毎日書いています。
私は祖母の事もありより一層グレイスフルで働けることをとても嬉しく思っています。未経験の方でも一から十まできちんと教えて下さいます。もちろん経験者の方でも同様です。利用者様を常に第一に考えチームとして意見を出し合いより良いケアを目指しています。一度介護から離れたけどやっぱり介護をもう一度やりたい!と思っている方も気軽にご相談下さい。今少しでも気になっている、働いてみたいと感じているそこのあなた一緒にグレイスフルで働きませんか?いつでもお待ちしております。

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