世界の中心(木曽)で愛(介護)を叫ぶ
松原施設長から北田施設長にバトンタッチがありましたが、桑原です。
(注:写真は私ではありません。私よりだいぶ若い施設の職員です)
北田施設長は、何と!現在ベトナムにいます。
EPAで来日し法人長野エリアで働いて下さっているベトナム出身の職員2人と一緒に、今後またベトナムの方に法人で働いていただくため「現地合同説明会」に参加しています。また、新しい仲間と働けるようになると良いなと期待しています。
詳しくは、北田施設長から報告があると思いますので、お楽しみに!!
本題に戻りますが、今回は私、桑原がこのブログを書かせていただいています。
私は、長野県木曽郡上松町にある「特別養護老人ホーム グレイスフル上松」と、木曽郡木曽町日義にある「グループホーム グレイスフル日義」の施設長をしています。
今回は、「世界の中心(木曽)で愛(介護)を叫ぶ」がテーマです。(あの小説とは無関係です)
木曽郡ご存じですか?
上松町は、大相撲:御嶽海関(出羽海部屋)の出身地として脚光を浴びています。海がないけど、海の名前をつけてもらったところに今後の活躍が期待できます。名古屋場所で優勝し、先場所は少し残念な結果でしたが、今後の大関そして横綱取りに期待します。頑張れ、御嶽海!!
また、御嶽海の名前の由来である、霊峰:御嶽山も住民や信者である日本中の方から愛されています。富士山もそうですが、お山の素晴らしさは、そこに存在しているだけで感動し、特別な信者ではない私でさえも神様のいらっしゃる場所なのだと改めて思います。
そんな、木曽の素晴らしさを語っている私ですが、実は木曽出身ではありません。(え~!)
長野県松本市で生まれて育ち、木曽には縁あって平成元年に嫁いできました。木曽人の人柄と大自然に守られ、気が付けば30年近く住んでいますので、もう木曽出身で良いか!と思っているくらいです(笑)
私が、社福)サン・ビジョンに就職したのは、子育て真っ最中の平成15年。就活中に通っていたハローワークで、木曽では馴染みのない会社名の求人票を見ました。それが、木曽日義に新しい介護保険施設を開設するサン・ビジョンの求人だったのです。
一番下の子は小学校の入学前でしたので、夜勤のある仕事にずいぶん迷いましたが、同居していた家族の賛成もあり、これはチャンスだと思い応募して就職することができました。採用通知が来たときは本当に嬉しくて、その通知を神棚に上げ手を合わせたくらいです。
小さい子がいるのに夜勤?と思われるかもしれませんが、当時私が思っていたのは、何者かになりたいという思いだったのです。嫁いで10年以上が経ち、○○さんの奥さん、○○ちゃんのお母さん、○○家の嫁だけではない何者かになりたかった。そして、子どもたちには、働くことは当たり前であることを伝えたかった。
人と笑顔で接したい、一緒に笑って過ごしたい。その気持ちが基本にあり「専門職」である。そんな思いから介護職を志したと思います。ちょうど介護保険が導入された直後くらいで、介護の資格が生まれたという背景が重なります。そして気が付けば、サン・ビジョンで15年を過ごし、働いている中で介護福祉士、介護支援専門員の資格も取りました。
ここまで続けて来られたのは、何と言っても利用者様と職場の仲間と家族の存在です。仕事をしていれば楽なことばかりではありません。大変なことだってあります。でも、それを超える「楽しさ」が介護にはあります。それを実感した15年であり、利用者様と共に生き、職場の仲間と支え合い、家族に支えられた15年でした。
今、私は「介護職」ではありませんが、多くの職種が集まり職員全員で作り上げる施設の中では、肩書など関係ありません。利用者様の前では、何者でも良いのです。利用者様に寄り添い、共に生きていくことが大切、そんな存在であることが大切だと感じています。
でも、やはり私は「○○さんの・・」だけじゃない、自分として存在することが必要だと思うのです。
これから「何か」になる方、そして、現在「○○さんの誰か」である方。
是非、今の自分を認めながら、そこにプラスで、利用者様と共に笑って過ごす、愛ある「介護の仕事」をやってみませんか。
「世界の中心(木曽)で愛(介護)を叫ぶ」でした。心のどこかに引っかかっていただけると嬉しいです。
次は木曽に馴染みの深い、山田施設長にバトンタッチします。