ありがとうございました。 いってらっしゃい。 From katu
猛暑が落ち着き、少し涼しくなってきましたが、皆様、いかがお過ごしでしょうか。気候の変化に体が慣れず、体調を崩しやすい時期ですので、十分な栄養、
休息に心がけて頂ければと思います。
さて、突然ですが、皆さんは、「合掌」する時に何を考えていますか?
食べる時やお願いをする時などは、一瞬の事なので考える事はないか思いますが、お葬式やお見送りの時はどうでしょうか。
何度か長い時間「合掌」をするので、御経や、南無阿弥陀仏を唱えたり、
亡き人の事を思ったり、又、何も考えなかったりとさまざまではないでしょうか。
私も小さい頃は、ただ大人のマネをして手を合わせて「南無阿弥陀仏」と暗唱していたと思います。又、霊柩車を見たら不吉だから、じっと見ない方がいいなんて
いう迷信もあったような気がします。
(大人からの教えではなく、子供の間で言っていたような記憶があります。)
福祉の仕事に就き、ターミナルケアに関わり、ご葬儀やお通夜、お見送りに
参列させて頂く中で、今の私は、合掌させて頂く時は、
「最後の時をかかわらせて頂き、ありがとうございました。
次の旅もどうぞご無事で、いってらっしゃい。」
と心の中で思い、お伝えしています。
人間は死んだらどうなるのか
色々な答えがあると思いますが、私は、「死」という節目を境に、次の「旅」に
その人は行かれるという解釈をしています。
死んでしまえば、すべて無くなるのだから、その先なんていない。
これも正しいと思います。
その人と直接、お話ししたり、物理的存在を確認したり出来ないことは、寂しく、悲しいと思います。近い存在の人だったらよりその思いは強く深くなるのではないでしょうか。
なので「死」を肯定的に解釈する事は難しく。ご葬儀やお見送りの度、もっといいケアができたのではないか、あの時こうすれば良かったや、自分が死んだらどうなるんだろう…。怖い… 嫌だな… と考える事が多くありました。
一方で、ご家族や私達が寄り添いながら穏やかに死期を迎えられた利用者様の存在や、ご家族から大変感謝の言葉を頂き、ご家族と共にしっかり対応できたと思えるケースもあり、色々な経験や死生観等の文献などから、今は、「死」が最終ゴールではなくて、1つの節目(通過点)だと考えています。
通過点と考えると、少し否定的な感情などが和らぐような気がしませんか?
だから感謝の想いと併せて
「次の旅もどうぞご無事で、いってらっしゃい」
と思うようにしています。
少し前になりますが、実の父親が亡くなりました。
病気もあり入退院を繰り返しており、いつ亡くなってもおかしくないと医師から
言われてからは、毎日18時過ぎに電話にて様子を確認し、可能な範囲で病院に
行っていました。母親、妹は死を迎える父親にどう対応していいのか不安が
強かったため私がどうなっていくのかなど色々な話をしました。
(この事から、家族の立場での不安などについて改めて感じたので、
末期の状態についてもう少し詳しくご家族へ説明できるようなツールを
今、検討しています。)
亡くなる前日に面会し、四肢血色は悪かったのですが、少し点滴で水分が入って
おり、排尿もあり、声も出ていたため、まだしばらくかなぁと思っていた次の日の
早朝に亡くなったと連絡がありました。
父親が死の節目を迎え、喪主として色々な経験をさせてもらいました。
そしてお通夜や葬儀、火葬と合掌する度に、世話好きな父親だったので、
「ありがとうございました。次の旅も気を付けてください。
あなたの遺伝子はしっかり受け継いでいくからね。いってらっしゃい。」
と思い、手を合わせました。
自分自身にも確実に訪れる「死」についても考えさせられるのが福祉の仕事で
あり、他の業種では、あまり経験できない事ではないか思いますし、
そのような経験から人間的成長だけでなく、自分の身近な人の支えになれるのも
福祉の仕事の魅力の1つではないかと思います。
興味がある方は、採用に関する色々な情報が載っている採用情報をクリックして
みてください。
今後も、機会がありましたら、「福祉の仕事の中で感じた事など」について、
個人的な見解にはなりますが、ご紹介させて頂ければと思います。
最後に、だいぶ前に、たまたまCDを購入し、聞いて驚きと共感を強く感じた
曲がありました。槙原敬之さんの曲で「親指を隠さずに」
興味がある方は、是非、聞いてみてください。
長文を閲覧頂き、ありがとうございました。 JF布袋 林 克幸